日台新時代が到来かー日本の駐台機関の名が「日本台湾交流協会」に : 台湾は日本の生命線!

投稿日 :2016年12月28日

日台新時代が到来かー日本の駐台機関の名が「日本台湾交流協会」に : 台湾は日本の生命線!
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2016/12/28/Wed

十二月二十八日の台湾紙自由時報に「外交で重大突破!交流協会が『日本台湾交流協会』に改称」との記事が載った。

「突破」というのは限界を打ち破ったとの意味だが、いったい日台関係でいかなる「重大」な進展があったというのか。

台湾のテレビニュース画面。もちろん今回の改称は台湾で好意的に受け止められている

そもそも「交流協会」とは何かだが、これは一九七二年の日華断交(日中国交樹立にともなう日本と台湾の中華民国との断交)後、日本側が大使館に代わる対台湾窓口機関として設置したものだ。交流協会台北事務所は事実上の駐台湾大使館である。

正式名称は「公益財団法人交流協会」(設立当初は財団法人)。民間団体との位置付けである。それは中国側が台湾との非政府間の実務関係しか許さないからだ。

それにしても「交流協会」とは、一見してどこの国の何の機関かが不明瞭な呼称である。これについて朝日新聞はこう説明する。

―――中国への配慮から非公式関係を強調するため、名称に「日本」が入っていなかった。

読売新聞はもう少し詳しい。

―――日本側はこれまで、中国が台湾を自国の一部とみなす「一つの中国」の原則を掲げていることに配慮し、対台湾窓口機関の名称に「日本」という表現を入れてこなかった。

日本はここまで中国の怒りを恐れていた訳だ。

日本は当初、日台交流協会の呼称を考えてはいた。しかし当時の国民党独裁政権が「日華交流協会」を強く主張。当時、同政権は「台湾」を国名代わりにするのを嫌っていた。台湾が「中国」とは異なる独立した存在であるとの認識が広がるのを恐れたのだ。

しかし「華」は中華民国という国名の一部につき、中国から許されるはずもなく、したがって日本側も受け入れることはできず、結局は「交流協会」となったという。

もっとも近年台湾では、通称として「日本交流協会」も用いられるようにはなった。そして今回、更に大きな変化が見られた訳だ。交流協会は十二月二十八日、来年一月一日を以って「日本台湾交流協会」に改称すると発表したのである。

自由時報によれば、日本側は「交流協会」の改称の理由についてこう説明しているという。

―――時代がすでに変わったから。八〇年代、九〇年代には日台の実務関係はそう頻繁ではなかったが、最近は六百万人もが双方を行き来しており、他の領域でも往来が非常に密接になっている。

―――そして最近台湾で行った世論調査によると、「交流協会」が何かを「知っている」との回答はわずか一〇%で、「知らない」は八〇%に達するなど、とても実際にそぐわない。

―――多くの外国の駐台機関が最近、次々と改称している。例えば英国の場合、(英国貿易文化弁事処から)英国弁事処に変わった。

そして今回の改称の意義について次のように書くのである。

―――日本側の改称は対台湾関係のレベルアップだと受け止められている。

たしかにそう言うことおなだろう。中国に対するかつてのような過度の「配慮」をやめたのだから。

だから中国の外交部報道官は二十八日、次のようなコメントを発している。

「中国は台湾問題での立場は一貫し、明確だ。我々は断固として、『一つの中国・一つの台湾』『二つの中国』を作り出すいかなる企てにも反対する。日本に対し、台湾問題で否定的な措置を取ったことに強烈な不満を表明する」

それから自由時報はこのようなことも書いている。

―――「交流協会」の正式な改称は、自ずと「台北駐日経済文化代表処」の「台湾駐日経済文化代表処」への改称問題にも大きな影響を及ぼすことになるだろう。

今回を機に台湾でも同国の駐日機関の改称を求める声が高まっている

この「台北駐日経済文化代表処」とは、台湾側の対日交流窓口機関、つまり事実上の駐日大使館である。

上記の如く「台湾」の名を忌避する国民党独裁政権は、このように「台北」の名を付けたのだが、「台北」は都市名であって台湾全体を言い表すことなどできない。しばしば台北市の東京事務所などと勘違いもされている。そこでこうした「台湾正名」を求める声は早くから上がっていた。

しかしそうした国民党など、そうした改称を拒んできたのだ。

そして日本側も「台湾」への改名を嫌っていたとも聞く。なぜなら国民党と同様に中国も、「台湾」という独立した地域の存在を強調する名称を嫌がるからだ。

しかし今は反対しないだろう。自らが「日本台湾交流協会」と改称するのだから。

今回を機に台湾本土派、独立派の議員の間から「台北」を「台湾」に、と求める声が高まり始めている。

「中国」「一つの中国」とは関係のない「台湾」と、その存在を受け入れる日本と言った、今後の日台新時代の到来が楽しみだ。