私達はなぜ「東京五輪台湾正名署名活動」を支持すべきなのか? 廖千瑤

投稿日 :2017年3月15日

台湾人の思いを知ろうー2020東京五輪「台湾正名」に向けた若き評論家の一文を紹介! : 台湾は日本の生命線!
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-3093.html
2017/03/15/Wed

オリンピック等で「チャイニーズタイペイ」(中国領台北)なる偽りの呼称を強要され続ける台湾代表。そこで日本では我々親台勢力が二〇二〇年の東京オリンピックでは「台湾」の名で迎えようと東京都議会に訴える請願署名活動を推進中。そしてそれには台湾でも多くの人々の力強い呼応が見られる。それでは台湾人は、どのような思いでこの活動に立ち上がっているのか。その一端を伝えるのが台湾のネットメディア「関鍵評論」(The News Lens)が三月十日に配信した“私達はなぜ「東京五輪台湾正名署名活動」を支持すべきなのか?”なる一文だ。筆者は新進気鋭の評論家、廖千瑤氏。国際社会で苦境に立たされ続ける台湾の尊厳を守りたいと願う思いがひしひしと伝わりくる内容につき、以下にその日本語訳を掲げたいーーー。


私達はなぜ「東京五輪台湾正名署名活動」を支持すべきなのか?
廖千瑤(フリーライター)

我們為什麼應該支持「東京奧運台灣正名連署活動」?
https://www.thenewslens.com/article/62583

今回、日本の友人たちが台湾人の尊厳のため、日本で「東京五輪台湾正名署名活動」を開始したことに、私は大変感動している。なぜならそれは、この地球上に台湾問題を深く理解し、台湾の境遇に同情してくれる外国人が大勢いるということだからだ。しかも彼らはそうした思いを実際の行動に変えてくれているのだ。私は台湾人として、本当に感動しているところである。

悲しくもあり滑稽でもあるのだが、普通であるなら台湾人が海外で試合を行う場合、「台湾代表」と名乗るのがごくごく当たり前であるにかかわらず、なぜ今の状況はそうではないのか。実際には海外での試合だけでない。台湾人は国際的な舞台においてつねにひどい目に遭い、不合理な圧迫を受けている。そういった話は枚挙にいとまがないのだが、しかし大部分の台湾人はこうした状況に、すっかり慣れ、当たり前のことだと思い込んでしまっている。

いくらかでもまともな台湾人なら、「仕方がない」と考えるが、そうでもない台湾人は「どうでもいい」「自分には関係ない」という態度である。そこで私ははっきりと言いたい。「台湾人でありながら『台湾代表』と名乗れない」ことよりも、「台湾人でありながら台湾の苦境に他人顔でいる」ことこそ、最も悲しく、最も滑稽であると。

台湾人は常々、「政治とスポーツは分けるべきだ」と言うが、その言い方には問題がある。たしかに二人の選手、あるいは二つのチームが競い合うのは技術、体力、得点においてであり、またルールは双方に公平に適用されるべきであって、そういった面では政治とは何の関係もない。

しかし、選手やチームがどのような名義で参加するかとなると、これは一つの政治的な問題だ。また、ある地域、ある都市で試合が開催できるか否かも、時には政治問題となる。そして試合の開催地となる地域、都市が誰の地域、誰の都市かとの話になれば、それはすでに主権帰属の問題に及んでおり、言うまでもなく政治の問題だ。

たとえばオリンピックに参加する時にChinese Taipeiと名乗らされるなら、それは「中国の台北代表」という意味になる。では、この名称はどのように決められたのか。それが政治問題ではないというのか。

考えてほしい。米国人は米国代表、日本人は日本代表と名乗っているのに、台湾人だけは「中国の台北代表」とされるなど、どう見ても政治問題ではないか。

このように、政治とスポーツは、私達一般人が思うのとは違い、この二つの異なる領域は実際には重なり合ってもいるのである。

しかしだからといって一般人を責めたい訳ではない。一般人は試合を観る時、たいていは選手の競技や試合結果にだけに関心があるのであり、政治とスポーツの間にあるここまで深い繋がりについては、見たくないというのが自然だろう。ましてやこの地球上の一般人には、政治とスポーツとの重なり合いに特別な関心を寄せる必要などまったくないのだ。

第一に、この地球上の一般人の圧倒的多数には自分の国があり、彼らの同胞が外国で試合をするとき、そうした国際的な舞台において自らをおかしな名前で呼ぶ必要などないし、たとえ国内の地域、都市で国際的なスポーツ大会を開こうとしても、敵国、外患による悪意の妨害を心配する必要もないのだから。

言い方を変えるならば、そうした問題に対し、彼らは何も心配する必要もないのだが、しかし不幸なことに、台湾人だけはそれに直面しなければならないのである。

それではこうした問題の根本は何か。それは台湾がいまだ建国独立を果たしていないことにある。こうした状態が続く限り、これらの問題はいつまでも解決されないだろう。

もっともここまで書く私に対し、あるいはこう言いたい人もいるかも知れない。「私も台湾の建国、独立には賛成だ!しかし『東京五輪台湾正名署名活動』は単に日本の民間の活動。それに参与したところで台湾は建国、独立できるのか」と。

だが、そのは言わないでほしい!国家を持たない者が、もし自分の国を持ちたいと思うなら、第一に確固たる建国の意志を持たなければならない。そして第二に、他者に対して自分には確固たる建国独立の意志があることを伝えなければならない。この二つは必要なことだ。

もし一人の台湾人が確固たる建国独立の意志を持っているなら、少なくとも中国国民党や統一派に投票せず、台湾本土派の政党に票を入れることだろう。また、更に積極的な人なら、中華民国亡命政権が引き続き台湾を統治することに懸命に反対し、車輪旗(※中華民国旗)や梅花旗(※チャイニーズタイペイ旗)が台湾を代表することへの反対にも努めるはずである。

だがもし中国国民党や統一派が今後も台湾政界の主導権を握り続けるとしたら、台湾人は建国、独立を求めていないことを意味してしまうのである。もし台湾人がそうであるというなら、外国人も台湾人の建国独立を応援する理由を喪失してしまうではないか!

今回、日本の友人達が台湾の尊厳のため、日本で「東京五輪台湾正名署名活動」を開始したが、それは「なぜなのか」を考えなければならない。

台湾人が何かをしたために、日本人は台湾人に建国独立の意志があると感じた結果ということなのだろうか。

実際には答えは簡単だ。それはつまり昨年、中国国民党が立法院と総統府を失い、統一派勢力が台湾政界(もっと厳密に言えば、中華民国亡命政権体制下の政界)で大幅に縮小されたことだ。だからこそ外国の友人達は、台湾人はついにわずかながらも覚醒し、自分たちの好ましからざる状況を打開すべく動き始めたと感じ取った。そしてそのために台湾人を応援しようと乗り出したのだ。
だからこそ台湾人であるならば、必ずこの署名活動を強く支持するべきなのだ。これは一つの世論調査というよりも、むしろそれ以上に、台湾人の建国独立の意志の表明の機会となるからである。

もし私達台湾人がChinese Taipeiなるデタラメなラベルを自分の体から剥がしたくないというなら、外国人は私達の側に立つことはなくなるだろう。それでも台湾を応援する義務は彼らにはないのである。

そこで私はここにおいて、全ての台湾人に訴えたい。必ず「東京五輪台湾正名署名活動」を強く支持しようと。

時間も何分とかかるわけでもない。ただ署名に応じるだけで、台湾の建国独立をすべきだとの信念は更に固まるばかりか、台湾人には確固たる建国独立の意志があるのだと外国人に伝えることにもなるのである。